頑張り適性①?

会社の先輩が今度会社を辞める。悲しくはない。羨ましくはある。

辞める理由は、と尋ねた。答えはきつい、安い。シンプルだ。

聞けば去年仕事中に倒れたらしい。残業は月120時間くらい。きつい。

給料も手取り20万ほど。仕事に対して、安い。

これは自分の辿る可能性のひとつである。こわい。

 

先輩の担当している仕事先は弊社の中でも少々特殊で、ほぼ毎日各地の現場に赴き、会社に居る時間はごく短い。対して、弊社で主要なケースでは、忙しいときはとても忙しいが、そうでないときにはさほどでもない。先輩曰く、自分はどちらかと言えば、今の仕事のペースの方が、主要なそれよりは頑張れるらしい。

 

私は「頑張る」というと瞬間的な強度に目が行きがちだ。徹夜で何かを仕上げるとか、重いものを運ぶとか。しかし、考えるに「頑張る」の強度には、軽重的な軸と期間の長さのような時間的な軸があるように思われる。思いつきというかある種願望だが、この両軸には優劣はないと感じる。100kgのものを運ぶのも、健康的な習慣を1年続けるのもどちらも容易なことではない。

 

さて、この2軸だが、人によってどちらの方が頑張りやすいといった適性があったりしないだろうか。一夜漬け派かコツコツやる派かといった具合に。

 

とここまでは考えたものの、だから何だというところまで考えるには至っていない。この文章も打ち始めて30分弱経とうとしている。そのため、頑張りの適性については後日また頭の中でかき混ぜることにする。

 

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仕事疲れで全然かけていなかったので、眠気をこらえながらとりあえずで書いた。

今まで頭の中でごちゃごちゃぐるぐるさせていたものをアウトプットしてみようという目的もあって始めたが、当然日々新しく考えることもあるわけで、旧来のものを消化ないし排出しきれるのは果たしていつになることやらといった感じである。眠い。寝る。

ワナビー

ワナビー(wanna be)」という呼び方がある。何か目標を掲げてはいるものの、特に行動に移していない人をそう呼ぶらしい。他の言い方だと「意識高い系」とかが類似する呼称だろうか。「する」「した」ではなく「したい」。この間にはやはり大きな隔たりがあるのだろう。

先日から報告書を書くようになったのだが、パパッと書いてから記入例を眺めてみたら「Aがあった。BなのでCする」といった書き方になっていた。そして、自分の書いたものは「Aがあった。BなのでCするようにしたい」といった文。最初は別にいいか、と思ったが、例文の方が通りがよさそうだと思い、文末を直した。

私は普段より「~したい」という言い方をためらいなく使う。したいことをしたいと表現するのは当たり前のことだろう。できるかもわからないのだから。ただ、今回「したい」よりも「する」の方が意思を感じると思った。周りに対しても、自分に対しても意思を示すことは大切だ。これからは「する」という言い方を少しずつでも増やしていこうと決めた。決めた。がんばる。

と、willを持ちあげてはきたが、wannaの心地良さも有用である。宝くじが当たったら~したいだとか、今度の休みは~したいだとか、希望に思いを馳せることは心の健康のためには有用で優しい。先ほどの「ワナビー」たちもそうすることで心の平穏を得ているのかもしれない。そう思えば一概に悪いことではないのかもしれない。

あー、大金を得てだらだらと生きていきたい。

 

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プロフィールは途中であきて考えるのやめた。どうせ自分の日記もどきとしてしか使わんし。一応公開設定ではあるけども。

しかし、ある程度文の中身は頭の中にあるのに、この程度の文量書くのに30分以上かかるのな。これは平日書いてらんないかもな。2、3日で1個書き終わるペースかも。慣れればまた違うのか自分のスペック的に限界なのか。

 

 

吐き溜める

いろいろ理由は付けられるが、ほかの人がやってていいなと思ったのでブログを始めてみる。備忘録のような、吐き出し口のような、そんなイメージ。

現状サイトの機能がほぼわかってないので、テキトーに続けつつ覚えていく。

とりあえず、プロフィールを考えるのが今日の目標。