中途半端

学生の時分、二つのサークルに所属していた。片方は今でも趣味として続けているものを行うもの、もう片方は部屋の居心地の良さから居ついていたもの。前者はサークルに居るついでにサークル活動をする人が多く、後者は強い関心を持った人と何かに引き寄せられて所属している人がまぜこぜであったように思う。書き方からわかるかもしれないが、私は後者の方に由来の不確かな(不確かにしておくことに好ましさを覚えているように思う)愛着のようなものをもっていた。

私は2年生のときに特に前者のサークルに悪感情を抱いていた。私が活動のためにサークルに所属している立場であったがために、サークルに居るためにサークル活動を行う他の人たちへのいらだちを抱いていたからである。現在においては、純粋ないらだちというよりは自分の立場に優越感ないし自尊心のようなものを持っていたことも一因であると考えているが。しかし、一足外に出てみれば、同時期に始めた人たちよりも、技術、熱意ともに劣っていた。真に中途半端であった。

後者のサークルにしてもだらだらと居ついている状況ではあるものの、面白そうなことには参加していた。これもまた中途半端なことである。

思い返せばこれまでの大体がこのようなものであったように思える。まあそんなことを振り返ってもしょうがない。

中途半端に生きてきた身として今思うのは、中途半端にも、両端のどちらにも属せる中途半端と、どちらにも属せない中途半端があるのではないかということだ。どっちつかずと中道と。すでにある言葉に帰ってきてしまうことに巨人の肩の高さを思い知らされる。この二つは思うに、それぞれに見えるものがある。どちらであるべきということはなく、ただ己を客観視するために把握しておけばいいのだろう。ようはどうでもいいのだ。

ここまで打って、中途半端な中途半端を思いいたるが、もしそうならば好きにとるがいいだろう。中途半端でも一向に構わない。

 

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なんとなく、思いついた語句を書きとめる癖を付けたい。普段は浮かんでもそのまま流れに乗せてどこかへと送ってしまうが、こうやって書き・留めることを始めたので、思いついたら紙にでも書いてみることにする。

ちなみに今日思いついたのは、「暴力的なおしゃべり」。気疲れするようなマシンガンを放つあの人を思い、思いついたもの。

せっかくだから、思いついたのをこちらに残してみるのもいいかもしれない。