今日は面談があるよってやつ

今日は転職エージェントの面談がある。今日の面談で今後の方針を決めることになる。

辞めるか辞めないか。転職かフリーターか。

辞めた後の現状の方向性は3つ。

1正社員として経理財務の仕事につく。多分これが一番。

2契約ないし派遣社員として経理財務の仕事をする。その後1のルートに入る。

3フリーターをしながら簿記などを勉強し、もう一度転職活動をする。

まあ、1がダメなら2、2がダメなら3。それを繰り返すだけ。

辞めないことも以前は考えていたが、これからさらに仕事が忙しくなることを考えると辞めるのがいいように思う。転職どころじゃないし、仕事で資格試験を受けられないとその後の展望も揺らぐ。

現職で生きていく考えはもうない。先輩Bの存在と仕事の忙しさで胃腸炎になってしまったことで、今月中に退社を申し出る方向に気持ちが行ってしまった。

コーヒー、炭酸が飲めないのが非常に辛いし、アルコールも飲むなと言われるとアレ飲んで見たかったなとなるのでよくない。

あと「あいつダメダメだったから辞めたな」と思われるのはちょっと癪で、「割とできてたのにな」と思われながら辞めたいというちっぽけなプライドが同期たちがちょっとしょうもないあれをしたので相対的に見たされてしまったのもある。小っちゃいぞ。

ということで転職を目指しているのだが、スペック、経歴的に経理への道は険しい。

とりあえず一件応募したが、あまり待遇はよくない。でもそこすら書類が通る確証はない。応募先も言うほどない。正直2か3のルートに行くのが濃厚な感はある。

来週は現場もそんなにないので、そこで上司に辞意を表明するつもり。

そんなことを最近はずっと考えている。

簿記の勉強最近熱が落ちてるので頑張る。いまからいまから。

あー、証明写真撮りに行かんと。

あー、ゲームしたい。する。

おわり

メモ

ワード、フレーズのメモ1

・言い訳メモランダム

・力点と支点と作用点があれば、てこの原理に俺はいらない

・なかったことにすると足りないものが見えてくる

・「苦労しないと覚えない」論者は苦労が足りてない。ブッダを見習え。

・「逃げるのか」 逃げる勇気も ないくせに 自分を見ないで 人を見誤る

・575とか57577でいろいろ書いてみる

・10年以上仕事でパソコン使ってるのにタイピング遅いとか仕事やる気あんの?

・時間かけて覚えた分を一度に受け止めるということ

・無形である行為への依存。有形である物への依存。

・生物への依存。物質への依存。

・人間への依存。動物への依存。

・物質への依存。機械への依存。

・依存と執着。

・頼りにしたい。頼りにされたい。

・一人分の過労死

・一日分の過労死

・過労死に必要な一日分の労働

・過労死に必要な一日分の時間外労働

・仕事のスタイルの適合性(労働時間の軸、休日の軸、対人の軸)

・やりたいことと向いてること

・書店を巡る

・コーヒー始めたい

・マウンティング

・自尊心と虚栄心

大体千文字

 ブログ上で文章を書く。そうすると、大体30分で1000文字程度の文章が出来上がる。特にそう決めているわけではないが、いつもそんな感じになる。1000文字くらいの量を書くと書きたいなと思ったことをいい感じに消化できる。何故なのだろうか。

 最初に思いついたのは、ひとつの物事に対して自分が考えをちょうどよく回せるのが1000字くらいなのではないのだろうかということだった。思考のサイズ感とでも言おうか。そのくらいのサイズがぼんやりと考えるのにはちょうどいい、というのは何となく腑に落ちるところがあった。この量が多いのか少ないのか、多ければいいのか少ない方が整理できているのかには少々興味がある。考える内容にも左右されるので単純な量での判断は難しいか。そういえば、ちょっと前に頭のいい人の物の見方、悪い人の見方のイラストが話題になっていたのを思い出す。それの中ではひとつの物事に対していろいろ連想できるのを頭の良さとしていた。その観点で言えば量が多いのはいいことになりそうだがはてさて。

 次に思いついたのは、大学のころに書いたレポートのことだ。あれは大抵A4一枚分、つまり1000字ほどの分を書かなければいけなかった。そうして、学生のときに似たような構成、分量ででレポートを書いていくうちに、それが文章作成のテンプレートとして身に付いたのではないだろうかということだ。不真面目な学生であった私はいくつものレポートを碌に脳みそを使わずに作成してきたのだが、考えずに分量をそろえていくうちにこれくらいの分量を書くと落ち着くような性分になっていったのかもしれない。いや、それはどうだろ。

 今も大して得意ではないが、昔の私は文章を書くのが非常に苦手だった。本は好きだったので、文章にアレルギーがあったりした訳ではないが、なにより分量の加減が下手だった。つけ加えると絵を描くにしても加減が下手だったような気がする。思い出すのは小学生のころ、運動会の日の感想文を書いたときに、朝起きて学校に行くまでのことを何故か用紙3枚ほどにわたって書き、それで満足したのか運動会のことを用紙1枚分も満たさず書き終えたことだ。1枚分書けばいいのに4枚分書き、内3枚は運動会が始まる前の出来事。別に朝に特別なことがあった訳ではない。どうにも加減が下手だったのだ。それが今は多少ましになっているところを見ると成長していく中でその辺を学んだのは間違いないようである。

 といろいろ書いてみたが、ここまで約1000字と40分。いつも通りの分量だ。ここでひとつ気づく、分量のほかにも時間の要素もあるかもしれない。飽きてきたのだ、書くことに。となればここらで締めることにしようと思うわけで。つまり3、40分書いて飽きるところが約1000字かもしれないということだ。多分ここまで書いた3点が合わさってこうなっているのだろう。いまいち、まとまりがなく気に食わない文章だが、まあそういうことで、はい、おしまい。

 

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「ちょっと考えればわかるだろ」という注意について文章を書いたが、「公開する」のボタンを押す前にパソコンを切ってしまい文章が飛んでしまった。しかし、一度吐き出したのでもう書かなくていいやという結論。

エクセルの資格試験に合格した。徹夜明けで受けてどうなるかと思ったが楽勝だった。

しかし、今回火曜日勤→夜間→水曜日勤→木曜日勤→夜勤→金曜振休を体験してみて、体と心へのダメージが非常に大きい。水曜の夜勤がなくならなかったらもっとひどいことになっていたと思うとさらに心にクる。

今は症状が気にならないレベルになっているが、胃の痛みがあった。胃潰瘍かもしれないなと思う症状だったが果たして。倒れたり病気になったら仕事即辞めると決めているので残念な気持ちもある。とか書いてたら胃が重い。気も重い。

ボーナスもらうまでは仕事続けようと思ってたけど、前期の終わりで課長と面談とかありそうだから、そのタイミングで退職願い出てみようかなと思う。

最初は3年経ったら判断しようだったのが、3年で辞める→1年で判断→1年で資格取れたら辞める→ボーナスもらったら辞める→簿記の試験前には辞める→今期の終わりに願い出る、と2か月ちょっとの間にどんどんしんどくなってる。このままいくと今すぐ辞めるになるけど(今でも今すぐ辞めたいと思うことは度々あるけど)、そうなる前に、それを通り越す前に、逃げ出せることを祈る。

転職セミナーを受けて

 転職セミナーを受けてきた。転職活動の基本を知りたいと考えての参加だった。年末頃になってからが実際できる最速の転職活動だろうなと思いながらも、でもひょっとしたらという気持ちが捨てきれていなかった。行ってみると会場に自分くらいの年の人はいなかった。知ってた。話を聞いてワークをしてみて、確信する。だめだ。わかっていたつもりだが、このままでは転職しようにも拾ってもらえる先がない。実際につきつけられると地味にきく。

 セミナーに参加して決めた今後の方針は3つ。一つは何をしたいのかを詰め直す。正直逃げたい気持ちが先行しての行動だったので、その辺がふわっとしすぎていたから当たり前にこれを決める。そして、それに合わせて資格を取る。経験が浅い以上資格は欠かせない。二つ目は今の仕事を懸命にこなす。これは前から決めていたこと。だがセミナーに出てみて、転職のアピールのためにどうこなすかも考えながらやるようにする。三つ目は4月入社を狙う。あわよくば新卒に交じって研修を受ける。というかそんなスタンスのとこじゃないと勝率は低そうでもある。

 そして現状としてはまだやりたい仕事は見つからない。手持ちの資格が簿記3級なので2級とって経理にチャレンジして内勤ルートを狙いたいとは思うが、もっともらしい理由がパッとは出てこない。考えてないってのはあるけど、考えないと出てこない時点でな。自営で最低限稼ぎつつってのが楽だけど、んなことできる能力もそのためのやる気もない。この辺は時間かけて考えようかな。とりあえずは経理に使えそうな勉強だけしておく。

 仕事は正直懸命にこなせてないと思う。たぶん体力的にメリハリつけてないと持たないんだけど、力を抜くタイミングがいまいちつかめない。なんで疲れちゃって散漫になる。慣れないとな。昨日はあんまり仕事を辞めたいって気持ちは起きなかった。Bと電話したら一気に高まったけど。御多分に漏れず俺も人間関係が転職の大きな動機らしい。この間の社内イベントもほかの人と話すの面倒だったし。慣れない人との会話が億劫なのは良くない性癖だと思うがなんとも。

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明日の試験の勉強今日してない。やらなくてもってのはあるけど、今後を考えると勉強に取り掛かるハードルを下げておきたい。

タイトルもう少しかっこつけて。

愚痴を書き連ねたもの①(仕事の時間のあれこれ)

 仕事で待ちの時間が生じる。何がいやなのか。ただで給料が発生しているんだぞ。でもその時間分作業が伸びる。会社に戻る時間が遅くなり、帰りも遅くなる。その分の残業代は発生しない。結果時間当たりの給料は低下する。寝る時間も減る。これは良くない。

 待ち時間も完全に暇ではない。電話を待ったり掛けたり、都度指示を出せるよう待機してる。仕事の範疇だ。そういうとこから仕事にも影響がある部分はある。

 仕事中もだが、仕事の前後にも待機の時間が生じる。現場に開始の30分前には着く。作業が終わっても挨拶や連絡のために待つ。電車がないから待つ。家に帰るほどの時間がないから車中泊。これらもやはり信頼を得るために必要になることがある。苦労した経験を共有する、自分と似た経験を持つ、これらのことは連帯感、信用、親しみを感じさせるのに有用である。時間に余裕を持って着くのは社会人として当たり前というのはわかる。でもこれ業務時間外だよ?あれ、ひょっとしてこれも業務内なのだろうか。そうならば、さらに違法時間外労働をしてることになるぞ。

 求人票やらで明らかに虚偽の平均残業時間を記載することへの罪悪感はないのだろうか?ひょっとして管理部門はこちらの残業時間を把握してないのだろうか。記載のものではないのは知ってるだろうが、タイムカードもないし実際正確な時間を把握してる人いないか。それって組織としてどうなのだろう。ISOがどうとか言う割には都合の悪いところは知らん顔。まあ、そんなもんといえばそれまでなんだけどね。

 他国のことは知らんが、これまでの慣習を半端に残したまま新しいものを突っ込んでるせいでがんじがらめにな部分はあるだろうな。

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 明日は試験。それが終わったら、2か月後の筆記試験に向け準備していく。八月のあるかわからない夏季休暇で転職のあれこれできないかと思ったけど、他の会社もやってないからだめだわ。

 目標2か月後の筆記までにエクセルの資格を取得する。年内に他の試験の勉強も2つあるから優先順位とかの整理は必要そう。年度末の試験の方は11月までにやるか判断したいところ。会社年度内ないし年度開けすぐに辞めるなら他に時間を費やすことあるや も知れん。日付同じでいい感じに時間場所が並んでるやつあったから試験もう一個受けようかな。前に勉強したことあるやつだし。

 いずれにせよ下期からの忙しさに大いに依存する事柄なので皮算用に終わる可能性も非常に高いので頑張ろう。できなきゃ転職もしないくらいに追い込んでもいいかも。

現職への不満整理

 会社の先輩が今月で退職する。定年ではない。新卒で入って三年目。どこか頼りない印象を抱いていた。「今月で辞める」そう聞いたときは少し驚いた。当社でちょくちょく新人が辞めていく話は聞いていた。「安いしきつい」何故と聞くとそう答えてもらった。いろいろ話を聞いていくと、去年倒れたこと、会社の指示で病院にいくつか行ったものの原因不明のため10万~20万円の診察代はもらえなかったこと、120時間ほどの残業をしていることなどの話を聞いた。会社の5年後はどうなんだろうといった話も聞いた。これらはこれから辞める先輩が言うことで鵜のみにはしないが、少しずつ仕事が大変になってきている自分には考えさせられるものだった。

 その他の人にもいろいろ話を聞くことがあった。そして、自分が10年後にはこの会社にはいないだろうと思った。だから少しでも資格の取得と実績を挙げていこうと決めた。これが先月の終わりのこと。ここまではまあ良かった。

 今月になって自分がメインでついていく社員さんが決まった。前述の先輩(Aとする)がついていた社員さん(Bとする)だった。私は嫌な気持ちになった。Aが「この担当になった人はほとんど会社を辞めてる」と言っていたからである。さらに言うと私はBがあまり好きではなかった。話が合わないのも、ライフワークバランスなんてないような仕事への姿勢も私とは合わないと感じていた。後者は会社と担当の仕事の性質によるところもあるが。

 入社後に教育係としていろんなことを教えてくれた人が「勘違いしていけないのは、これからの定年までの40年は好き勝手にやれるのではなく、我慢をしないといけないということだ」と言っていた。それは一理あると思っていたが、AとBが担当している仕事は他のものと違い、提携先から流れてくるものをさばいていくような仕事で、振休がたまっていくような働き方を余儀なくされる。それが2、3年だけであるならまだいい。万一Bの後継にでもなれば、営業をする間もなく現場の管理に奔走する日々が待っている。営業をするために入ったのに、だ。それがとくに私の心を挫いた。

 だから、10年頑張ろう、から3年か5年で判断しよう、と考えが変わった。これが7月3日の週を終えたときのこと。

 そして、先週10日の週、Bに付いて現場を回り、金曜は別の社員の現場で働いた。その社員の現場はある程度終わっている現場で雑用のようなことをしていた。そういったことは割と好きなので良かったが、単純な作業をしているとどうしても頭が回ってしまう。もし3年目に会社を辞めて他業種に移れば、今から5年後にはその業種で2年目となる。もし今年辞めれば4年目でそこそこの歴になる。どうせ辞めるなら早い方がいいのではないか。そう思うと私は転職サイトに登録した。もしすぐに雇ってもらえるならすぐ辞めるし、今年の間に資格でもとってアピールするのが必要ならそうしてから移ろう。とりあえず、専門家に相談しよう。あとからあのときやっておけばというのは避けたい。残るにせよ、辞めるにせよ今は動く。

 会社の休日でも社用携帯を手放すなという姿勢も苦手だ。仕事に有用であっても休憩時間にも業者さんと話していないといけないのも苦手だ。日勤→夜勤→日勤という労働法を無視したコンボが普通にあり、コンボがチェインすることすらある会社の体制が嫌いだ。高齢層が多く、5年後が不安だ。オフィスで働きたい。

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相談するにも頭の中をアウトプットしてみる必要があると思い、簡単に吐き出してみた。まだ残りはあるがとりあえずで。

技術あるものに人格を求めること

 高い技術を持つ人に人格者であることを求めることへの批判を目にした。ときどきこういった内容の話は目にする。個人的にも優れた人格というのは、環境、努力、才能によって形作られるものであり、優れた技術や才能と同列に扱えるもので、これらに付随するものではないと思う。プロ野球選手が当然にサッカーもプロ級にできるかというとそうでないのと同じように。優れた技術を持とうとも、彼らは私たちと同じ人であり、ご飯を食べるし、腹が立つこともある。

 しかし、何故技術を持つ者に人格も求めるのか。あこがれからくる自らの理想の投影が真っ先に思い浮かぶ。こうあるべきという考えは目に映る世界をさらに歪めようとしてくる。その他に考えられるのは、そうでないと都合が悪いから、というものだ。記事を書く前になんとなく「人格者」を検索し、結果の中のひとつを覗くと、優しく博識で導いてくれる自分に都合の良い人間を人格者と呼んでいるだけではないかといった気持ちにさせるものがあった。もちろんそこまでひどくない内容のサイトもあったが。確かに優れた技術を持つ者が自分に都合のいい人間ならなんと便利だろうかとは思う。意識的、無意識的にそういったことから人格者であることを望む人いるのかもしれない。

 余談だが、孔子曰はく「巧言令色鮮し仁」なり、という言葉があった。彼によれば口や愛想のいいやつはいまいち信用ならないらしい。それでどちらかといえば無骨な人の方が仁を備えている割合は高いのだと。下手に書くと自分に跳ね返ってくるので書かないが、言われれば確かになといった感じである。眠いのでこの話はトンボになっていただく。日本で職人気質というと不愛想なイメージがあるね。不愛想な人だから職人でいられたのか、職人にならざるを得なかったのか。職人であると、あるいは技術を習得すると愛想がなくなっていくのか。トレードオフ的な。目立つだけという説もある。それしかないから頑なになっているのか。

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眠い。イヤホンしてたからよくわからなかったけど、昼にセミが鳴いてた気がする。この前19時になっても日が暮れてなくてびっくりした。別の日には夕暮れがやたら黄色くて印象的だった。なんだかそわそわしてきょろきょろしながら帰ってた。お目目休めておやすみしよう。「目の色変えろ」ってモノクロの絵の目の色だけ「目」って文字にかぶせて色変えてたポスターが何年か前に見て印象的だった。もーど学園かなんか。