転職セミナーを受けて

 転職セミナーを受けてきた。転職活動の基本を知りたいと考えての参加だった。年末頃になってからが実際できる最速の転職活動だろうなと思いながらも、でもひょっとしたらという気持ちが捨てきれていなかった。行ってみると会場に自分くらいの年の人はいなかった。知ってた。話を聞いてワークをしてみて、確信する。だめだ。わかっていたつもりだが、このままでは転職しようにも拾ってもらえる先がない。実際につきつけられると地味にきく。

 セミナーに参加して決めた今後の方針は3つ。一つは何をしたいのかを詰め直す。正直逃げたい気持ちが先行しての行動だったので、その辺がふわっとしすぎていたから当たり前にこれを決める。そして、それに合わせて資格を取る。経験が浅い以上資格は欠かせない。二つ目は今の仕事を懸命にこなす。これは前から決めていたこと。だがセミナーに出てみて、転職のアピールのためにどうこなすかも考えながらやるようにする。三つ目は4月入社を狙う。あわよくば新卒に交じって研修を受ける。というかそんなスタンスのとこじゃないと勝率は低そうでもある。

 そして現状としてはまだやりたい仕事は見つからない。手持ちの資格が簿記3級なので2級とって経理にチャレンジして内勤ルートを狙いたいとは思うが、もっともらしい理由がパッとは出てこない。考えてないってのはあるけど、考えないと出てこない時点でな。自営で最低限稼ぎつつってのが楽だけど、んなことできる能力もそのためのやる気もない。この辺は時間かけて考えようかな。とりあえずは経理に使えそうな勉強だけしておく。

 仕事は正直懸命にこなせてないと思う。たぶん体力的にメリハリつけてないと持たないんだけど、力を抜くタイミングがいまいちつかめない。なんで疲れちゃって散漫になる。慣れないとな。昨日はあんまり仕事を辞めたいって気持ちは起きなかった。Bと電話したら一気に高まったけど。御多分に漏れず俺も人間関係が転職の大きな動機らしい。この間の社内イベントもほかの人と話すの面倒だったし。慣れない人との会話が億劫なのは良くない性癖だと思うがなんとも。

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明日の試験の勉強今日してない。やらなくてもってのはあるけど、今後を考えると勉強に取り掛かるハードルを下げておきたい。

タイトルもう少しかっこつけて。

愚痴を書き連ねたもの①(仕事の時間のあれこれ)

 仕事で待ちの時間が生じる。何がいやなのか。ただで給料が発生しているんだぞ。でもその時間分作業が伸びる。会社に戻る時間が遅くなり、帰りも遅くなる。その分の残業代は発生しない。結果時間当たりの給料は低下する。寝る時間も減る。これは良くない。

 待ち時間も完全に暇ではない。電話を待ったり掛けたり、都度指示を出せるよう待機してる。仕事の範疇だ。そういうとこから仕事にも影響がある部分はある。

 仕事中もだが、仕事の前後にも待機の時間が生じる。現場に開始の30分前には着く。作業が終わっても挨拶や連絡のために待つ。電車がないから待つ。家に帰るほどの時間がないから車中泊。これらもやはり信頼を得るために必要になることがある。苦労した経験を共有する、自分と似た経験を持つ、これらのことは連帯感、信用、親しみを感じさせるのに有用である。時間に余裕を持って着くのは社会人として当たり前というのはわかる。でもこれ業務時間外だよ?あれ、ひょっとしてこれも業務内なのだろうか。そうならば、さらに違法時間外労働をしてることになるぞ。

 求人票やらで明らかに虚偽の平均残業時間を記載することへの罪悪感はないのだろうか?ひょっとして管理部門はこちらの残業時間を把握してないのだろうか。記載のものではないのは知ってるだろうが、タイムカードもないし実際正確な時間を把握してる人いないか。それって組織としてどうなのだろう。ISOがどうとか言う割には都合の悪いところは知らん顔。まあ、そんなもんといえばそれまでなんだけどね。

 他国のことは知らんが、これまでの慣習を半端に残したまま新しいものを突っ込んでるせいでがんじがらめにな部分はあるだろうな。

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 明日は試験。それが終わったら、2か月後の筆記試験に向け準備していく。八月のあるかわからない夏季休暇で転職のあれこれできないかと思ったけど、他の会社もやってないからだめだわ。

 目標2か月後の筆記までにエクセルの資格を取得する。年内に他の試験の勉強も2つあるから優先順位とかの整理は必要そう。年度末の試験の方は11月までにやるか判断したいところ。会社年度内ないし年度開けすぐに辞めるなら他に時間を費やすことあるや も知れん。日付同じでいい感じに時間場所が並んでるやつあったから試験もう一個受けようかな。前に勉強したことあるやつだし。

 いずれにせよ下期からの忙しさに大いに依存する事柄なので皮算用に終わる可能性も非常に高いので頑張ろう。できなきゃ転職もしないくらいに追い込んでもいいかも。

現職への不満整理

 会社の先輩が今月で退職する。定年ではない。新卒で入って三年目。どこか頼りない印象を抱いていた。「今月で辞める」そう聞いたときは少し驚いた。当社でちょくちょく新人が辞めていく話は聞いていた。「安いしきつい」何故と聞くとそう答えてもらった。いろいろ話を聞いていくと、去年倒れたこと、会社の指示で病院にいくつか行ったものの原因不明のため10万~20万円の診察代はもらえなかったこと、120時間ほどの残業をしていることなどの話を聞いた。会社の5年後はどうなんだろうといった話も聞いた。これらはこれから辞める先輩が言うことで鵜のみにはしないが、少しずつ仕事が大変になってきている自分には考えさせられるものだった。

 その他の人にもいろいろ話を聞くことがあった。そして、自分が10年後にはこの会社にはいないだろうと思った。だから少しでも資格の取得と実績を挙げていこうと決めた。これが先月の終わりのこと。ここまではまあ良かった。

 今月になって自分がメインでついていく社員さんが決まった。前述の先輩(Aとする)がついていた社員さん(Bとする)だった。私は嫌な気持ちになった。Aが「この担当になった人はほとんど会社を辞めてる」と言っていたからである。さらに言うと私はBがあまり好きではなかった。話が合わないのも、ライフワークバランスなんてないような仕事への姿勢も私とは合わないと感じていた。後者は会社と担当の仕事の性質によるところもあるが。

 入社後に教育係としていろんなことを教えてくれた人が「勘違いしていけないのは、これからの定年までの40年は好き勝手にやれるのではなく、我慢をしないといけないということだ」と言っていた。それは一理あると思っていたが、AとBが担当している仕事は他のものと違い、提携先から流れてくるものをさばいていくような仕事で、振休がたまっていくような働き方を余儀なくされる。それが2、3年だけであるならまだいい。万一Bの後継にでもなれば、営業をする間もなく現場の管理に奔走する日々が待っている。営業をするために入ったのに、だ。それがとくに私の心を挫いた。

 だから、10年頑張ろう、から3年か5年で判断しよう、と考えが変わった。これが7月3日の週を終えたときのこと。

 そして、先週10日の週、Bに付いて現場を回り、金曜は別の社員の現場で働いた。その社員の現場はある程度終わっている現場で雑用のようなことをしていた。そういったことは割と好きなので良かったが、単純な作業をしているとどうしても頭が回ってしまう。もし3年目に会社を辞めて他業種に移れば、今から5年後にはその業種で2年目となる。もし今年辞めれば4年目でそこそこの歴になる。どうせ辞めるなら早い方がいいのではないか。そう思うと私は転職サイトに登録した。もしすぐに雇ってもらえるならすぐ辞めるし、今年の間に資格でもとってアピールするのが必要ならそうしてから移ろう。とりあえず、専門家に相談しよう。あとからあのときやっておけばというのは避けたい。残るにせよ、辞めるにせよ今は動く。

 会社の休日でも社用携帯を手放すなという姿勢も苦手だ。仕事に有用であっても休憩時間にも業者さんと話していないといけないのも苦手だ。日勤→夜勤→日勤という労働法を無視したコンボが普通にあり、コンボがチェインすることすらある会社の体制が嫌いだ。高齢層が多く、5年後が不安だ。オフィスで働きたい。

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相談するにも頭の中をアウトプットしてみる必要があると思い、簡単に吐き出してみた。まだ残りはあるがとりあえずで。

技術あるものに人格を求めること

 高い技術を持つ人に人格者であることを求めることへの批判を目にした。ときどきこういった内容の話は目にする。個人的にも優れた人格というのは、環境、努力、才能によって形作られるものであり、優れた技術や才能と同列に扱えるもので、これらに付随するものではないと思う。プロ野球選手が当然にサッカーもプロ級にできるかというとそうでないのと同じように。優れた技術を持とうとも、彼らは私たちと同じ人であり、ご飯を食べるし、腹が立つこともある。

 しかし、何故技術を持つ者に人格も求めるのか。あこがれからくる自らの理想の投影が真っ先に思い浮かぶ。こうあるべきという考えは目に映る世界をさらに歪めようとしてくる。その他に考えられるのは、そうでないと都合が悪いから、というものだ。記事を書く前になんとなく「人格者」を検索し、結果の中のひとつを覗くと、優しく博識で導いてくれる自分に都合の良い人間を人格者と呼んでいるだけではないかといった気持ちにさせるものがあった。もちろんそこまでひどくない内容のサイトもあったが。確かに優れた技術を持つ者が自分に都合のいい人間ならなんと便利だろうかとは思う。意識的、無意識的にそういったことから人格者であることを望む人いるのかもしれない。

 余談だが、孔子曰はく「巧言令色鮮し仁」なり、という言葉があった。彼によれば口や愛想のいいやつはいまいち信用ならないらしい。それでどちらかといえば無骨な人の方が仁を備えている割合は高いのだと。下手に書くと自分に跳ね返ってくるので書かないが、言われれば確かになといった感じである。眠いのでこの話はトンボになっていただく。日本で職人気質というと不愛想なイメージがあるね。不愛想な人だから職人でいられたのか、職人にならざるを得なかったのか。職人であると、あるいは技術を習得すると愛想がなくなっていくのか。トレードオフ的な。目立つだけという説もある。それしかないから頑なになっているのか。

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眠い。イヤホンしてたからよくわからなかったけど、昼にセミが鳴いてた気がする。この前19時になっても日が暮れてなくてびっくりした。別の日には夕暮れがやたら黄色くて印象的だった。なんだかそわそわしてきょろきょろしながら帰ってた。お目目休めておやすみしよう。「目の色変えろ」ってモノクロの絵の目の色だけ「目」って文字にかぶせて色変えてたポスターが何年か前に見て印象的だった。もーど学園かなんか。

 

中途半端

学生の時分、二つのサークルに所属していた。片方は今でも趣味として続けているものを行うもの、もう片方は部屋の居心地の良さから居ついていたもの。前者はサークルに居るついでにサークル活動をする人が多く、後者は強い関心を持った人と何かに引き寄せられて所属している人がまぜこぜであったように思う。書き方からわかるかもしれないが、私は後者の方に由来の不確かな(不確かにしておくことに好ましさを覚えているように思う)愛着のようなものをもっていた。

私は2年生のときに特に前者のサークルに悪感情を抱いていた。私が活動のためにサークルに所属している立場であったがために、サークルに居るためにサークル活動を行う他の人たちへのいらだちを抱いていたからである。現在においては、純粋ないらだちというよりは自分の立場に優越感ないし自尊心のようなものを持っていたことも一因であると考えているが。しかし、一足外に出てみれば、同時期に始めた人たちよりも、技術、熱意ともに劣っていた。真に中途半端であった。

後者のサークルにしてもだらだらと居ついている状況ではあるものの、面白そうなことには参加していた。これもまた中途半端なことである。

思い返せばこれまでの大体がこのようなものであったように思える。まあそんなことを振り返ってもしょうがない。

中途半端に生きてきた身として今思うのは、中途半端にも、両端のどちらにも属せる中途半端と、どちらにも属せない中途半端があるのではないかということだ。どっちつかずと中道と。すでにある言葉に帰ってきてしまうことに巨人の肩の高さを思い知らされる。この二つは思うに、それぞれに見えるものがある。どちらであるべきということはなく、ただ己を客観視するために把握しておけばいいのだろう。ようはどうでもいいのだ。

ここまで打って、中途半端な中途半端を思いいたるが、もしそうならば好きにとるがいいだろう。中途半端でも一向に構わない。

 

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なんとなく、思いついた語句を書きとめる癖を付けたい。普段は浮かんでもそのまま流れに乗せてどこかへと送ってしまうが、こうやって書き・留めることを始めたので、思いついたら紙にでも書いてみることにする。

ちなみに今日思いついたのは、「暴力的なおしゃべり」。気疲れするようなマシンガンを放つあの人を思い、思いついたもの。

せっかくだから、思いついたのをこちらに残してみるのもいいかもしれない。

季節の移ろい 人の移ろい

7月になり、梅雨は抜けぬものの、暑さは増していき着実に夏は近づいているのを感じる今日この頃。正直これ以上熱くなるのは勘弁していただきたい。

前回はこれから辞め行く先輩の話をしたが、この前には定年後もマネージャーという肩書で働いていた人が辞めた。その次の日ゴミ箱にその人の名前の入ったテプラが捨ててあったのが印象に残っている。ああ、諸行無常かな。

そして、どうやら近々また同様の肩書の方が辞めるらしい。その少し後には定年で転職する方も控えているようで。季節が移ろうにつれて、人が減っていくような印象である。たまたまだろうが。

うちの会社はお年を召した方が多い。20~30%は定年間近かあるいは定年済みである。それに加えて30代の働き盛りの人は少ない。小さい会社であるので10年後には既存の戦力の多くが失われていることは想像に難くない。

この状況を打破するにあたっては、中途採用者を募り、戦力の増強を図ることが考えられる。と、ここではたと思う。歴史が繰り返してはいないか。もしかすると20年ほど前にも似たような状況になったのではないか。そこで新卒ではなく、中途採用でしのぎ、それで良しとして新卒を長らく取らなかったからこそ今につながったのではないのか。まあ、実際には新卒が一向に定着しなかっただけかもしれないが。

新卒の定着にしても思うところがある。どうにも人手が足りてないのだ。いや、人手が不足しているから新卒を採用しているのだろうけども。ここでの人手とは新人を教育するゆとりと言い換えてもいい。人手不足により手一杯の状況では、新人を教育するゆとりなどあろうはずもない。習うより慣れろといった考えもあるだろうが、結果それで新人が逃げて人手不足が続いたのでは世話はない。こう考えると、どうやら新人の採用とは事業を拡大する前準備のような、誤解を恐れず言うならば、人を遊ばせる余裕があるときに済ませるのがよさそうである。ゆとりを作ることで生まれる目先の損失というか非効率を嫌い、結果として遠い先の損失を生み出す。手垢まみれで説教くさい話だが、こういったことを見通すのがある種の先見の明といったものなのだろう。

さて、10年後まで私が会社に残っているかはわからないが、いざ船が沈むといったときに慌てぬよう、身支度と観察は怠らぬようにしていきたい。

 

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思っていることをつらつらと吐き出しているので、勢い任せで推敲をほぼしていない。ふと読み返そうと思ったときに読みづらくはならないかと思わないでもないがまあいいかという気持ちが強いのでまあいいか。

今日はかねてより勉強していた資格の一次試験のようなものを終えた。忙しくて触っていなかったので忘れているところもあったが受かりはしているだろう。

3週間後には別の資格試験もあるのでそちらの勉強もそろそろ再開しよう。2か月後にはまたまた別の筆記試験があるので、そちらも早めに一度済ませてしまおうか。

さてさて次に記事を書けるのはいつになることやら。

頑張り適性①?

会社の先輩が今度会社を辞める。悲しくはない。羨ましくはある。

辞める理由は、と尋ねた。答えはきつい、安い。シンプルだ。

聞けば去年仕事中に倒れたらしい。残業は月120時間くらい。きつい。

給料も手取り20万ほど。仕事に対して、安い。

これは自分の辿る可能性のひとつである。こわい。

 

先輩の担当している仕事先は弊社の中でも少々特殊で、ほぼ毎日各地の現場に赴き、会社に居る時間はごく短い。対して、弊社で主要なケースでは、忙しいときはとても忙しいが、そうでないときにはさほどでもない。先輩曰く、自分はどちらかと言えば、今の仕事のペースの方が、主要なそれよりは頑張れるらしい。

 

私は「頑張る」というと瞬間的な強度に目が行きがちだ。徹夜で何かを仕上げるとか、重いものを運ぶとか。しかし、考えるに「頑張る」の強度には、軽重的な軸と期間の長さのような時間的な軸があるように思われる。思いつきというかある種願望だが、この両軸には優劣はないと感じる。100kgのものを運ぶのも、健康的な習慣を1年続けるのもどちらも容易なことではない。

 

さて、この2軸だが、人によってどちらの方が頑張りやすいといった適性があったりしないだろうか。一夜漬け派かコツコツやる派かといった具合に。

 

とここまでは考えたものの、だから何だというところまで考えるには至っていない。この文章も打ち始めて30分弱経とうとしている。そのため、頑張りの適性については後日また頭の中でかき混ぜることにする。

 

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仕事疲れで全然かけていなかったので、眠気をこらえながらとりあえずで書いた。

今まで頭の中でごちゃごちゃぐるぐるさせていたものをアウトプットしてみようという目的もあって始めたが、当然日々新しく考えることもあるわけで、旧来のものを消化ないし排出しきれるのは果たしていつになることやらといった感じである。眠い。寝る。